そもそも「猿田彦神社(赤羽台)」とは?

 この祠には「猿田彦神」「庚申塔」とが祀られています。
画像

猿田彦は「ニニギノミコト」が天降りするとき天の八衢に立って道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、各地で「道祖神」として崇められています。
背丈が七尺、鼻が高く、目はほおずき鬼灯のように照り輝き、祭礼の神輿を先導する天狗面はまさに猿田彦そのもので、その妻は「天の岩戸」の前で舞い踊ったことで有名な「アメノウズメノミコト」です。

 「道祖神」は路傍の神で、集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などにおもに石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、あるいは交通安全の神として信仰されていました。
元々は中国の神ですが、日本に伝来してからは、日本の民間信仰の神である「岐の神(ちまたのかみ)」と習合しました。さらに、岐の神と同神とされる「猿田彦神」と習合したり、地蔵信仰と習合したりして、各地で様々な呼び名が存在します。
「岐の神」または「辻の神」とは、日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神です。「岐」または「辻」とは道路が分岐・交叉する場所のことで、このような場所は、人だけでなく神も往来する場所と考えられました。神の中には悪神・悪霊もおり、これらの侵入を防ぐために祀られたのが「岐の神」なのです。このことから「塞の神(さえのかみ)}とも呼ばれます。

 道教の教えによれば人間の頭と腹と足には三尸(さんし)の虫がいて、いつもその人の悪事を監視しているといいます。三尸の虫は「庚申(こうしん)の日」の夜の寝ている間に天に登って天帝に日頃の行いを報告し、罪状によっては寿命が縮められると言われていました。
そこで、三尸の虫が天に登れないようにするため、この夜は村中の人達が集まって神々を祀り、その後、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かしました。
これを「庚申講」といいます。庚申講を3年18回続けた記念に建立されたのが「庚申塔」で、今も各地に残っています。仏教では、庚申の本尊をたいしゃくてん帝釈天に、神道では猿田彦神としています。これは庚申の「申(さる)」が猿田彦の猿と結び付けられたものと考えられます。
また、猿が庚申の使いとされ、庚申塔には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られることが多く、山王信仰(三猿信仰)もここから生まれたとされ、庚申の日は帝釈天の縁日でもあります。

 それではここに祀られている庚申塔、道祖神はいつ頃のもので、どこにあったのでしょうか。
旧赤羽台東小学校の北にある「うつり坂」は、旧板橋街道の坂道の一つでした。
大正八年に旧陸軍被服本廠が赤羽に移転したとき、被服本廠通用門への坂となり、関係者以外の通行は出来なくなってしまいました。
そのため、うつり坂を登ったところに祠を造り、江戸時代から明治中期頃までに造られたと思われる、板橋街道沿いにあった近場の道祖神、庚申塔を集めて祀ったようです。
その後昭和37年、被服本廠の跡地に赤羽台団地ができて元の坂道となりましたが、坂の上に建てられていた祠は、団地造成上の都合で現在の場所に再移築されました。
今も祠前の盥石(たらいいし)には大正7年の銘があります。また、寅さんで有名な柴又帝釈天(経栄山題経寺)から移したと思われる石柱などもあります。

              <猿田彦神社の所在地図>

 
 本当に小さな祠ではありますが、赤羽台に住まう人々の人生の良き道先案内人として、また地域の守り神としての役割を担ってくれています。末永く大切に祀って行きたいものです。




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

ナイス ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック